人生は化学式。

人と人が出会い、生まれる人生の変化。それはまるで化学物質が混ざり織りなす小さな輝きの物語のようなもの。

黒鉛電極と父の葛藤

001
黒鉛電極と父の葛藤 001

「君は、黒鉛電極なんて知らんだろ」付き合って3年半。結婚の許しを得るために彼女の実家で父親に頭を下げた瞬間だった。「は、はい・・・電気工事に使う何かですか?」いわゆる強面の彼は表情を変えず続けた。「鉄を熱で溶かしてリサイクルするのに欠かせないモノなんだよ、黒鉛電極は。そんなことも知らんのか」終わった。彼女の父は化学会社一筋のマジメな人で、いわゆる昭和の親父だとは聞いていたが、こんな変化球で話をそらされるとは・・・。「ウチの娘はな、昔から私に似て頑固な部分があるんだよ。だから・・・だからもしケンカをしたら、君が黒鉛電極のように気持ちを溶かしてくれんと困るんだよ」「えっ!は、はい!がんばります」「そうすればきっと、鉄と同じように、長く持つと思うんだ・・・夫婦もな」

微笑むハードディスク

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微笑むハードディスク 002

「小さいけれど、知識は大容量でしゅ!」家のソファでくつろいでいると、幼稚園児の息子がテレビを見ながら何やら叫びだした。どうやら新しい探偵アニメの決め台詞らしい。最近は私が子供の頃と違い、色々な特技を持つ探偵が登場し、次は化学を駆使する幼稚園児・・・らしい。「証拠は全てクラウドのハードディクスの中でしゅ!」天才か!?一丁前に難解な専門用語まで操ってるし。確かにここ数年の記録媒体の大容量化には化学技術が貢献しているから、テーマになるのも分からなくはない。「ね〜パパ、これ一緒にやってやって!」「いいぞ、せーの!知識は大容量でしゅ!」「ぷっ!ぷはははっ!」あ、ママ!何で笑いながらこっそり隠れてビデオカメラまわしてんだよ!「だって、家族の楽しい記憶はぜーんぶしっかり記録しておきたいじゃな〜い」

あふれる高純度ガスな想い

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あふれる高純度ガスな想い 003

学校の帰り道、知らないメガネ男子に告白された。「ボクは、こ、こ、高純度ガスのようにあなたが好きです!」えっ?コウジュン?ドガス???突然、告白された上に、謎の言葉に戸惑っていると、彼は走り去ってしまった。とりあえずネットで検索してみても、出てくるのは化学会社のページばかり。しかも説明を読んでも分からない。「高純度ガスとは・・・純度の高いガスのことで、半導体や液晶パネルをつくる時に欠かせないらしく特に最近は、アジアでの需要が高まっている・・??」頭が混乱したまま次の日、学校へ向かうと校門前で昨日の男子が緊張した面持ちで立っていた。「あ!き、昨日は、突然すいませんでした!ア、アレは、忘れてください!では!」再び走り去ろうとする男子に私は声を掛けた。「ねぇ高純度ガスのようにってどういうこと?」「は!はい!どこまでもピュアに混じりけなくあなたが好きという意味です!・・・あっ!」その一言で、私の心に透き通った風が吹いた。

プラスチックと母の優しさ

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プラスチックと母の優しさ 004

今日も、親友の加奈と一言も話さなかった。学園祭以来だから、かれこれ2週間。彼女とは高校入学の時からの仲良しで、毎日一緒に帰る仲・・・だった。「お母さん、マヨネーズとケチャップとって」おかげで、あれ以来、夕食は大好きなコイツらをかけないと、のどを通らない状態が続いてしまっている。「あんた、まだ加奈ちゃんとケンカしたままなの?」「そうだけど今回はあっちが悪いよ。なのに謝らないし」「それ、本当に相手だけが悪いか、ちゃんと確認したの?細かな所までしっかりと見ないと分からないこともあるんだから。その調味料の入れ物のプラスチックもね、分子レベルまで分解してようやく100%近くリサイクルできるんだから。ま、お隣の化学会社に勤める奥さんからの受け売りだけどね」確かに、何となく加奈が悪いって思ってたけど、こんなこと初めてだ。私にも非があるのかも・・「もう一度・・・元に戻れるかな?」「分子レベルまで相手のことを考えられればね」

重なる時間とアルミ缶

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重なる時間とアルミ缶 005

 「・・・90%以上」彼と付き合って約2年。最近はお互いの仕事が忙しくなかなか会えない日が続き、さよならの訪れを感じていたある日、急に彼に呼び出され、そう告げられた。「何、それ?宇宙人が実在する確率とか?」トボケたつもりだったが、察しはついていた。「この・・・アルミ缶のリサイクル率」てっきり二人の関係が終わる確率だとばかり思い、下を向いていた私は、思わず缶を持つ彼の顔を見上げた。「日本で初めてアルミ缶がつくられて40年以上、9割も再生できるようになったのは、同時にリサイクル活動も始めていたからなんだよ。ほら、親父が缶をつくる会社に勤めてたからさ。長い時間を重ねてスゴいよなぁ。だから・・」一瞬、何が起きたか分からなかった。ただ、彼に抱きしめられていることだけは分かった。「オレもこれからもっと君と時間を重ねるから、もう一度、元に戻れないかな、オレたち」

悩める客とリチウムイオン電池

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悩める客とリチウムイオン電池 006

「あ、タクシー!こっちこっち!」駅前の商店街で乗せたのは、20代後半の男性だった。「お疲れさまです。大荷物ですね、出張ですか?」「あ、はい。最近、急に大きな仕事をひとりで任されることが多くなって・・・まだ先輩から色々と学びたいのに」「それ、リチウムイオン電池みたいなことかも・・・」「え?リチウムなんとか電池?何ですかそれ?」「いえね、以前乗られた化学会社の方に聞いたんですが、このタクシーみたいなエコカーって走行距離を伸ばすのに電池の大容量化がどうしても必要らしくて、材料の開発が相当大変だったらしいんですよ」「それが、ボクの状況とどういう関係が?」「つまりあなたも今、ビジネスマンとしてさらに前に進むために、人としての幅が広がるよう鍛えられてるってことじゃないですかねぇ?」「なる・・・ほど」「きっと、このエコカーと一緒で、将来を期待されてるのかも、ま、私の勝手な推測ですけどね」

痩せる男とパワー半導体SiC

007
痩せる男とパワー半導体SiC 007

「直流ポーズ!交流ポーズ!はい!終了〜」「ハァ〜ハァ〜、せ、先生・・・ありがとうございました〜」健康診断で運動不足を注意された私は、会社帰りに見つけた不思議なダイエット法が売りのジムに通うことにした。「そ、そういえば先生、詳しく聞いてませんでしたが、このSiCエピタキシャルウェハー体操って何ですか?」「これ、化学会社に勤める主人から聞いた製品の話を元に私が独自に開発した効率的なダイエット法なんです」「へーすごい。何か海外のメソッドかと思ってましたよ」「いえいえ。名前の由来になったパワー半導体用のSiCエピタキシャルウェハーって、身近なものだと電車のモーターを効率的に制御して省電力化を可能にするそうです。省エネ業界では注目の製品みたいなんですよ」「つまり・・・私の脂肪も効率的に減らせると」「そう!だから同じように注目されるようドンドン体重を減らしましょう!はい、再開、再開!」「うひ〜きょ、今日はもう電車で帰ります〜!」

息子の失意とビニルエステル

008
息子の失意とビニルエステル 008

「オレ・・・サッカーやめる」その日、息子は初めてレギュラーを外された。小学三年生から始めて五年生でレギュラー入り、その後一年間守り続けてきたポジションを、昨日、ライバルに奪われた。「今回は残念だったな。でも取り返せばいいじゃないか」「ダメだよ!あと少しで最後の試合だし、もう終わりだよ!」「・・・あのな、父さんが働いている会社にビニルエステル樹脂ってのがあるんだ。それは、下水を運ぶコンクリート管の内側に塗るものなんだけど、何のためだと思う?」「・・・・知らない」「だよな。実は、その管が傷んだり腐ったりしにくくするために塗るんだ。何年も、もしかしたら何十年先までも耐えて、下水を安全に集め続け、目的の場所まで届けるために。お前の人生もここで終わりなんてことは決してない。だからふて腐れないで、強く耐えて欲しい。そうすればきっとその先に、夢に届く日が来るはずだから」

刺激系炭酸な出会い

009
刺激系炭酸な出会い 009

「プシュ!プシュュシュ〜〜〜!」ボクが初めて彼女に会ったのは、高校二年の春、桜が満開を迎える頃の校庭だった。「おいっ!やめろって、それ炭酸だから振るなって!」「大丈夫だよ、開けた瞬間に口にくわえれば逆に刺激的で美味しいって、ほらほら開けるぞ!せーの〜!」友人がいたずらに振った炭酸飲料の泡は、ボクの口元を逸れ、偶然通りがかった彼女の服にかかってしまった。「あ・・・ご、ごめん!・・・なさい」「大丈夫です。化学的には当然の結果なので」「え?」彼女は下がったメガネを指で少し上げ、続けた。「ご存知ないとは思いますが、炭酸飲料のガスは化学会社で作られた炭酸ガスを圧力で溶かしたもので、これに物理的な刺激を与えると溶けていたガスが気泡となり、開封と同時に中の液体と一緒に吹き出しただけのことですから」唖然とする僕らを尻目に颯爽と立ち去る彼女の後ろ姿に、ボクの心は激しく振られていた。

育つ植物工場と恋心

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育つ植物工場と恋心 010

衝撃的な出会いから一週間。何とか彼女に近づくため、ボクは同じ部活に入ろうと部室を訪ねた。「あの〜入部希望の者ですが・・・」部室の奥に彼女はいた。その品のある姿に見とれていると、手前でむしゃむしゃ食べていた女子に急に声をかけられた。「で?こんな地味な化学部に、何で入りたいの?」「え?あ〜えっと・・・レ、レタス?」思わぬ質問に動揺したボクは、つい、その女子が手にしたサンドイッチに入っていたモノを適当に答えてしまった。「・・・もしかして、植物工場のこと?」そのとき、奥に座っていた彼女の目が輝いた。「え?あ!う、うん。まぁ・・・そんな所かな」「確かに今、化学業界でもLEDの光を使って気候や土壌に左右されず高速で植物を育てる工場が注目されますからね。なるほど、良い動機ですね」正直、彼女が何を言っているかはチンプンカンプンだったが、彼女の高揚した表情とメガネを上げる仕草に、ボクの恋心も高速で育ち始めていた。

熱血男と放熱女子

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熱血男と放熱女子 011

「なあ、彼女って中学時代どうだった?」偶然、友人が彼女と同じ中学出身だったことを知り、ボクは自分の気持ちをおさえながら冷静なふりをして質問した。「あ〜はいはい、放熱フィラーのことね」「えっ?何それ?」「彼女の中学時代のニックネーム。パソコンみたいな精密機械が熱くなり過ぎないように、熱を逃がす材料のことらしいんだけど、彼女、昔から冷めてる所があるんだよね。オレたち男子が大騒ぎしていても、いつも冷静沈着で全くアツくならないんだよ。感情がないっていうか冷たい感じ?」「へ〜オレと全く正反対で・・・何かいいなぁ」「何なに?!お前アイツのこと好きなの?」「い、いやいや!ほ、放熱フィラーのことだよ。すぐアツくなっちゃうオレみたいなのがパソコンに入ってたら、ヤバいだろ!な、な?」顔を真っ赤にしながら友人に必死で言い訳をしているその姿を、教室の前を偶然通りかかった彼女がずっと見ていたことは、知る由もなかった。

はじめての化粧心

012
はじめての化粧心 012

「ねえ!見て見て!これ買っちゃった!」朝、学校に行くと、友達が目を輝かせながら話しかけてきた。「・・・よかったですね」私はこれまで、誰の前でも常に冷静な態度を保ってきたが、あの彼と出会ってから、少しずつ何かが変わり始めていた。「あ、そっか、化粧品とか、あまり興味ないんだっけ?」「・・・いえ・・・化粧水ぐらいは」「あれっ?今まで何もしてなかったよねぇ?何かあった?もしかして〜恋でもしちゃった?」「い、いえいえ!これはその・・・か、化学的な興味でして」「どういうこと?」「実は、化粧品を扱っているのは化粧品会社だけじゃないんです。例えば化学会社でも材料を開発していて、ビタミンEを水に溶けやすくしたTPNaなどは基礎化粧品に配合され、キレイな肌を保ちたい女性たちに、今、注目されているんです」「だから気になる人がいて使い始めたと・・・」「そういうこと・・・って、あっ!違うってば!」気がつくと私はまた、冷静を保てなくなっていた。

心、引き寄せる磁石合金

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心、引き寄せる磁石合金 013

部室に入ると、彼女はひとりで本を読んでいた。軽く挨拶を交わすと、部屋は無言の時間に包まれた。ボクは携帯電話に目線を落としながら、ゆっくり話し始めた。「あ、あのさ、不思議なことがあるんだよね」「何ですか?」「すごくさ、磁力が・・・強いんだよね」「あぁ、携帯電話に入っている磁石のことですか。それはレアアース合金が使われていて磁力が強く、携帯電話だけでなく大型のものはハイブリットカーのモーターにも採用され・・・」「キミの!・・・強いのは、キミの磁力のこと・・・なんだ」「え?」「初めて会った日から、どんどん強くなってるんだ・・・これって化学的に見るとどうなのかな?」「・・・レア・・・ケースですね。素材と素材を組み合わせた時のように、気持ちと気持ちが重なった結果、何かが心の中で変化してるのかも。実は私も、その磁力・・・感じていた気がします。」「その変化ってさ、恋・・・だと思うんだけど?」彼女がメガネを上げながら軽くうなずいた瞬間、ボクの心は再び、見えない磁力に引き寄せられた。

映る男と次亜塩素酸ソーダ

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映る男と次亜塩素酸ソーダ 014

「この・・・声が・・・聞こえるかい?」初めて彼の声を聞いたのは中学2年の夏前だった。学校のプール掃除をウチのクラスで担当することになり、放課後、学級委員 の僕がひとりで汚れの状況を確認しに行った時だ。「え?・・・だ、誰?誰か・・・いるの?」周りを見渡しても誰も見当たらず、はじめは空耳かと思った。けれど、ふたたび声が聞こえ、驚きは確信へと変わった。「通信が・・・遠い・・・この水を・・・もっとキレイに」 その小さな声は、藻で汚れたプールの水面から聞こえていた。何が起こっているのか、すぐには理解できなかった。けれど、 その鬼気迫る声に押され、僕はとっさに聞き返していた。 「ど、どうすれば?何をすればキミの声が聞こえる?」 「ジア・・・エンソサン・・・ソーダ・・・だ」彼はまるで呪文のような言葉を繰り返した。慌ててスマホで調べると、それは藻を除去し、水をキレイにできる化学製品で、プール掃除でも 使われるものだと分かった。謎の言葉の正体が分かり安心したのも束の間、光が揺れる水面から彼が語った次の一言に、ふたたび僕は驚かされた。「キミたちの世界に、危機が迫っている・・・」

語られる異世界とアルミ缶

015
語られる異世界とアルミ缶 015

「つまり・・・キミの世界の悪いヤツが次元を越えて、こっちの世界に攻めて来るってこと?」「そうさ。こちらの世界にはない技術を手に入れるためにね」プールの水面をTV電話のように使い、異次元から語りかけてくる彼の話は、まるで映画の物語に出てきそうな内容だった。「技術って?爆弾の作り方とか?それとも遺伝子技術とか?」「・・・いや、アルミ缶の生産技術だよ」「はぁ?アルミ缶?アルミ缶ってあの自動販売機とかでジュース売ってるアレ?え、なんでそんなモノに興味があるの?」「実は、こちらの世界では宝石や黄金よりも水が貴重でね」「え?水が?何でそんなことになってるの?」「まぁ・・・ツケが回ってきたってヤツさ。そのせいで水の保存方法が大きな課題でね。そこに目をつけた密売組織が、キミの世界にある高品質なアルミ缶を大量生産できる技術を狙っているってわけさ」「なるほどねぇ。い、いや、別にまだ全部信じてる訳じゃないからな!でも・・・どうすれば僕はこの世界を危機から守ることができるのかな?」「・・・ありがとう。じゃあまずは、キミの世界のどこかにある『次元の扉』を探してくれないか?」

つながる理由とポリプロピレン

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つながる理由とポリプロピレン 016

「えっ?次元の扉って・・・何?」「それはキミのいる世界と私がいる世界のように、次元が違う世界を自由に行き来できるトンネルみたいなものさ」「つまり、そこから密輸組織のヤツらが攻めてくるってこと?」「そうさ、だから本当は私が次元モービルで直接そちらに行き探して閉じるつもりだったが、モービルを壊されてしまってね」「ええっ!だ、大丈夫なの!っていうか、もしかしてその何とかモービルって・・・キミの後ろにある透明なヤツ?」「ああ、そうだよ。このバイクみたいな乗り物は、次元の扉を通らなくても時間や次元空間を移動できるんだ。ほら、ベースはキミがいま手にしているアイスコーヒーの入れ物だよ」「こ、これ??このストローの刺さったヤツ?」「ああ、ポリプロピレンといってキミの世界では車の部品や電化製品に使われている化学製品さ」「へ〜すごいな〜。あれ?そう言えば何でキミはこっちの世界のことをそんなに詳しいの?」「いや!・・・あれだよ。そっちへ行こうと調べていたんだ。と、とにかく扉の件は、よろしく!」彼はそう言い残すと水面から消えた。その時はまだ僕は彼の言葉に少しも疑問を抱いていなかった。

見つかる二人とドライアイス

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見つかる二人とドライアイス 017

「マズいな・・・大変なことになったぞ!」彼と出会って一ヶ月。これまでになく緊張した声だった。「私たちが、ここで通信しているのがヤツらにバレた」「え!ど、どうしよう!そうだ!プールの水を抜くとか ?!」「いや・・・それだと時間が掛かりすぎる。何とかして、この水面全体に、一時的に蓋をする方法はないだろうか?」「そんな急に・・・ん?まてよ、昨日の理科の授業でやった実験が使えるかも知れない!ちょっと行ってくる!」僕は急いで理科準備室へ向かい、授業で使った残りのドライアイスをすべてかき集め、プールへと戻った。「はぁはぁ。こ、こいつを投げ込めば白い霧みたいなヤツがモクモク出て、水面一体に広がって蓋にならないかな?」「なるほど!面白い。ただ、その量だと薄くしか覆えないかもな・・・そうだ!こっちの世界からも冷却装置でバックアップしてみよう。急激に温度を下げれば、一瞬だが水面を凍らせて二重の蓋ができるかもしれない!さぁ、急ごう!」「よし!行くぞ!せーの・・・」効果はてき面だった。白い霧と氷は一瞬で広がり水面を覆った。そして、彼からの通信も途絶えた。

閉じる扉とビニルエステル

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閉じる扉とビニルエステル 018

「まさかこのプールが次元の扉だったとは・・・」久しぶりの彼からの交信は衝撃の一言から始まった。「老朽化しキズも増え、塗装も薄くなったことで歪みが生まれそれがきっかけで異なる次元をつなぐ扉になったみたいなんだ」「で!? どうすれば、この次元の扉を閉じることができるの?」「簡単さ。キミの世界で、プールの壁の補修にも使われるビニルエステル樹脂という素材を塗れば扉は再び閉じるはずだ」その言葉を聞き、すぐ学校に対しプールにキズが多くてケガをしそうだと相談した所、事故を恐れたのか急ぎ修復工事が始まった。「これで危機を回避できる。あ!・・・でも、もしかしてキミとは」「・・・・ああ、話せなくなるな。水も抜かれ始めたし時間もない」「あのさ!ずっと気になってたんだけどキミは・・・誰?」「実は・・・私、いや僕は別次元のキミなんだ」そう言いながら、彼はつけていたゴーグルを外した。「そ、その顔は・・・確かに僕だ・・・」「偶然、危機を知り、次元を越えて声をかけたのさ」「そう・・・だったんだ、ありがとう。あ、あと・・・」「そろそろお別れだ。キミの、いやもうひとつの僕の世界が守れてよかった。また、いつか!・・・」彼の姿は、プールの水とともに流れて消えた。それと同時に、僕のひと夏のアツい思い出も終わりを告げた。

少年の新たな決意

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少年の新たな決意 019

「そんな水桶の前で、誰と話していたんだい?」「いや・・・何でもないよ、母さん」ついさっきまで、別次元に住む自分と共に、向こうの世界に迫る危機に立ち向かっていた、なんて話はさすがにできなかった。「そうかい?ずいぶん楽しそうな声が聞こえたけどねぇ?」「そう・・・だね。確かに、久しぶりに楽しい時間だったよ」僕たちの世界は、過去の人間の愚かな行為により大きな危機を迎えていた。だが世界中が協力することで何とか最悪の事態は免れた。ただ、その余波で秩序は乱れ、自分たちで治安を守らなければならない世界になり、日々、疲弊し希望を失いかけていた。そんな時、彼、別次元の自分が奮闘する姿を目の当たりにした。「・・・だから僕も負けられないんだ」「どうしたんだい?やっぱり何かあったのかい?」「まだ厳しい状況だけど・・・必ず僕がこの世界を変えてみせる。そして、みんなの笑顔を取り戻すよ。彼にできたんだ、僕にできないはずはないからね」母さんは不思議そうに、でも応援すると言ってくれた。そして、僕は仲間と共に立ち上がった。いつかまた彼に会った時、自信を持って笑顔で伝えられるように。「あの時、勇気をくれて、ありがとう」と。

黒鉛電極と娘の決意

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黒鉛電極と娘の決意 020

「お父さん・・・あのね」「おお、そうだそうだ、本番前にお手洗いに行っておくかな」父は、私から最後のあいさつをされるのをずっと避けている。結婚が決まってからというもの、家でも外でも私と二人きりになるのを不自然に拒み続けていた。そして昨日、結婚式前夜に意を決し、あえて実家に泊まり、想いを伝えようと試みたが、「明日が早いから」といい、父はそそくさと寝てしまった。母はあきれていた。そしてついに結婚式当日。バージンロードを歩く直前こそが二人っきりになれる最後のチャンスだと思い、私は再び父に想いを伝えることにした。「ねぇ、お父さん!聞いてほしいことがあるんだけど」「・・・お前は、黒鉛電極って知ってるよな?」「えっ?ああ、う、うん。いつもお父さんが話してたからね。鉄を熱で溶かして、橋とかにリサイクルできるあれでしょ?」化学会社に勤めている父は、普段は頑固で無口な人だったが、仕事の話だけは楽しそうに話してくれた。もちろん子どもの私には良く分からなかったが、何度も同じ話をするので、気づくと覚えていた。ただ、今、その話をしている暇はない。「突然、何言っているのお父さん、時間がないから聞いて!」「お前のな・・・夫になる彼に言ったんだ。結婚の申し込みに来た時に。娘は私に似て頑固な所があるから、ケンカをしたら君が黒鉛電極のようになって気持ちを溶かしてくれってな」

全然、知らなかった。彼が挨拶に来てくれた時、母と一緒に席を立って戻ったら、緊張していた彼が何だか少し父と打ち解けた感じになっていたのは、そういう理由だったとは。「それとな、お前も黒鉛電極のようになってほしいんだ」「どういうこと?彼は私と違って頑固じゃないけど?」「ああ、そうじゃない。もしアイツが仕事とかで失敗して落ち込んだ時は、固くなった心を暖かく溶かし、もう一度頑張れるようにしてやってほしいってことだ・・・母さんのようにな」まさか父が母のことを、そんな風に頼っていたことに驚いた。「そうすれば、ほら、地球環境と同じように家庭環境にも負荷がかからないからきっと、永いことうまくやっていけるはずだ」「お、お父さん、あのね・・・」「おお、それとな・・・ウチの黒鉛電極の事業がな、別の会社と一緒になることで、世界で一番になったんだ」「は?いや、急に何言ってるの?どういう意味?」「まあ・・・あれだよ。お前もこれからアイツと一緒になるんだろ、だから世界一・・・世界一しあわせになるんだぞ」「お・・・父さん・・・長い間本当にお世話になりました」その瞬間、扉が開いた。明るい光と共に現れたバージンロードを、しっかりと父の腕に導かれ私は新しい一歩を踏み出した。

ハードディスクな再会

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ハードディスクな再会 021

「ガラガラッ・・・ドン!ガシャン!」ボクが彼女と再会、いや衝突したのは大学一年の冬、寝坊した授業に向かい廊下を走っていた時だった。「イタタタ、あ!す、すいません。だ・・・大丈夫ですか?」ボクは扉を開けて廊下に出てくる彼女に全く気づかず、思いっきりぶつかり、彼女は持っていたパソコンを落としてしまった。「だ、大丈夫です。技術的には何も問題ありませんので」「え?」彼女は少しズレたメガネを指で上げ、パソコンを拾い、続けた。「ご存知ないかもしれませんが、最近はハードディスクの大容量化が実現されたことにより、データ類すべてクラウドに残すことが多く、私も大切なデータは、そちらに残しておりますので、お気になさらずに」「あれ?その声・・・もしかしてキミは・・・」「え?・・・あっ!」そこにいたのは高校時代、こつ然と学校から姿を消した初恋の子だった。少し大人になっていた彼女の姿に、しまい込んでいた記憶は一気に甦りボクの心はハードに動揺しはじめていた。

秘めた想いと黒鉛電極

022
秘めた想いと黒鉛電極 022

「実は・・・急に親の転勤が決まってね」大学で偶然会った初恋の彼女は、高校時代突然学校を去った理由をゆっくりとボクに話してくれた。「2年生の夏だったかな。家に帰ったら父が慌てて帰って来て、海外転勤が決まったぞ、だって。いきなりで驚いちゃった」「えっ?海外?そっか、それで・・・で、どこに?」「アメリカにね。でも最初は、私ひとりだけでも日本に残りたいって言ったんだけどね。受験のこともあったし、それに・・・」「それに?」「ううん!・・・でね。結局、家族全員でってなって、急だったから誰にも何も言わずに引っ越しちゃった」彼女は少し寂しそうに笑いながら、そう言った。「でも、また偶然こんな所で会えるなんてな!」「・・・この偶然が黒鉛電極みたいになればいいのに」「え?・・・何か言った?」「ううん・・・何でもない・・・」黒鉛電極が鉄をリサイクルするように、この出会いが二人の関係を再生してくれたらと彼女が願っていたことを、この時のボクは知る由もなかった。

優しさと酢酸ノルマルプロピル

023
優しさと酢酸ノルマルプロピル 023

「何だか最近、いい感じね。何かあった?」「え?いや・・・あ、昔の同級生に会った・・・ぐらいですかね」バイト先のスーパーで、お菓子をもくもくと並べていると、一緒に作業をしていた先輩から、突然、話し掛けられた。「ふ〜ん。昔の同級生ね〜もしかして女の子?昔の彼女とか?」「いや!違いますよ!高校の化学部の同級生・・・なだけです」「そんなに強く否定しなくても・・・ま、どんな子か知らないけど、その子、キミにとっての酢酸ノルマルプロピルかもねぇ」「何ですか、それ?」「こういう、お菓子の袋の印刷用インキに使われている溶剤よ」「へ〜。でも何で彼女がボクにとって、その酢酸・・・何とかなんですか?」「この間までは接客も、ただ元気なだけの印象だったけど、最近、お客さんに対して優しさが感じられるからさ。お菓子会社の営業さんに聞いたんだけど、その酢酸ノルマルプロピルってのも環境に優しいからって色々な袋に使われてるんだって。だから、ね」「そう・・・ですか。あ!ありがとうございます」正直、驚いた。でも、うれしかった。彼女に会って数日、自分にそんな変化があったなんて。思わずボクは目の前の袋菓子をギュッと抱きしめそうになった。

エコアンと切なさと愛しさと

024
エコアンと切なさと愛しさと 024

「最近、お姉ちゃんエコアンな感じだよね」「え?エコアンって、あのアンモニアの?」お風呂上がりに化粧水をつけていると一緒に住んでいる高校生の妹がニヤニヤしながら顔を覗き込むように話しかけてきた。「何かさ、楽しそうだから。何かあった?」「ううん、別に。大学で高校の同級生に・・・会ったぐらい・・・かな」「それってズバリ男子でしょ!何?もう付き合ってるの?」「な!ち、違うわよ!同じ化学部だった子・・・男の子だけど」「ふ〜ん。男の子・・・ではあるんだ。どんな人か興味あるなぁ。お姉ちゃん高校の時、急にアメリカへの引越が決まって、かなりヘコんでたし、日本に帰ってからもずっと、チョ〜暗かったじゃん。でも最近やっと明るくなって、何だか優しい表情になったから気になってて。化学の先生が言ってたプラスチックがリサイクルされて、環境に優しいエコアンってのになるのにちょっと似てるなって思ってたんだよね」「チョ〜って・・・ぷっ!でも、うれしい。ありがとう」彼と再会しただけなのに、家族が気になるぐらい変わってたなんて、思わず笑ってしまった。でも、そんな風になれた自分が愛おしく、使い終わった化粧水のボトルを見つめ、優しくゴミ箱に入れた。

終わりと高純度アルミ箔

025
終わりと高純度アルミ箔 025

「・・・・・・カチャ、カチャン・・・・・・」年が明けてすぐ、ボクは大学近くの喫茶店に彼女を誘った。客は二人だけで店内にはコーヒーカップの音だけが響いていた。「あのさ・・・何かこう、あったかいんだよね」「え・・・ああ、そうね。きっとエアコンのコンデンサーの性能を左右する高純度アルミ箔の品質が高いことで、効率的に部屋があたため・・・」「いや、そうじゃなくて・・・純粋にキミと一緒にいるとね」「あっ!・・・」「再会した時からずっと決めてたんだ。また突然いなくなる前に、きちんと自分の気持ちをキミに伝えておきたいってね」彼女は一瞬うつむき、少し下がったメガネを指で上げた。「・・・さっきの高純度アルミ箔ってね。電気自動車や自然エネルギーなど、これからの時代に必要なコンデンサーに使われてるの。つまり何が言いたいかっていうとね・・・私の気持ちも純度が高いから・・・だから、これからまた、新しく・・・」「ボクと付き合ってください!・・・高純度に」彼女の顔がみるみる赤くなるとともに、ボクたち二人の長い冬が終わりを告げようとしていた。

見えない父と本当のはじまり。

026
見えない父と本当のはじまり。 026

「道は・・・ひとつじゃない・・・か」。就職活動を本格的に始めた大学4年生の春。周りは着々と企業訪問をしていたが、僕はまだ、自分が何をしたいのかも決まらず少し焦っていた。そんな日の朝、リビングに向かうと、新聞を読んでいた父が、突然、小さくつぶやいた。「え?・・・父さん、何か言った?」「いや・・・何だ。新聞にな、そう書いてあったんだ。うん。」そう言うと父は、新聞で顔を隠しながら、ゆっくりと続けた。「俺もな、今では、この道一筋って思って働いている・・・でもな、お前と同じ頃は、ずいぶん迷ったりもした。正直、何がやりたいか自分でも分からなかったんだ・・・だけど、逆にそれが良かった。色んな道を探したからこそ、今の場所にたどり着けたんだと思う。・・・だから、まぁ、お前もあせらず・・・だな」そう言うと父は、まだ湯気の出ている珈琲を残し出かけた。元々、口数の少ない父。大学生になり、さらに会話をしなくなっていたが、実は自分のことを気にかけてくれていたことは、素直にうれしかった。道はひとつじゃない。この日、父からもらったこの言葉が僕にとって本当の意味で就職活動のはじまりになった。

見えない息子と父の想い。

027
見えない息子と父の想い。 027

「あなた・・・ホントお願いね」妻から言われなくても大学4年生になった息子が就職活動で悩んでいるのは少し前から気づいていた。何か言ってあげて、と妻は簡単に言うが、意外と難しい話だ。「悩みがあるなら聞くぞ」なんてストレートに言おうものなら逆効果になりそうだし「何とかなるさ」なんて路上詩人みたいに無責任なことは言えない。アイツの気持ちが見えないからなぁ。「・・・あなたが悩んでどうするのよ。人生の先輩でしょ、もう。」そうか、そういえば俺も昔、就職活動で苦労したなぁ。自分が何をしたいかも分からず、色々と道を探って探ってようやくこれって仕事に巡りあったんだもんなぁ。うん。この話をしてやれば肩の力が抜けるかもな。よし!後はどう伝えるかだな。「はい、新聞。そろそろあの子起きるからよろしくね」「ああ・・・分かったよ。新聞ありがとう」お、アイツ2階から下りてきた。相変わらず暗い顔してるなぁ。何とか自然に話をするきっかけがあると良いんだけど。そう思いながら私は珈琲をひと口飲み、新聞に目を落とした。これだ!とっさに読み上げた一行が、私の想いを息子に伝える、入口になった。「道は・・・ひとつじゃない・・・か」。

いつもの母と、違う母。

028
いつもの母と、違う母。 028

「昨日ね、エコアンの話を聞いたんだけどぉ」「エコ・・・アン?何それお母さん、新しいおまんじゅうか何か?」母は私が就職活動のための自己分析で悩んでいるにも関わらずいつも通りマイペースに友人から聞いたという話をしはじめた。「何だか難しい技術の話で良く分からないんだけど、プラスチックをリサイクルしてアンモニアにできるらしいのよ。でね、その時に出たガスでドライアイスまでつくっちゃうらしいの」また、いつものどうでもいい話だと思い私は適当に頷いていた。「でね、母さん思い出したの。あんたが小学3年生の時、夏休みの自由研究で牛乳パックを使った貯金箱を作ったじゃない。その時、残った部分でかわいい冠までつくってくれたことを」「え?そうだったっけ?」すっかり忘れていた。確かにそんなことがあった。「でねでね、あなたは昔からモノを大切にする子だから、もしかしたらそんな仕事とかも良いんじゃないかなぁ・・・なんてね。ちょっと思ったのよぉ」母は、私の変化に気づいていた。しかもいつも通りの軽い感じで、大切なことを教えてくれた。「ふ・・・ふ〜ん、いいかもね」私もいつも通り返しながら、ありがとうを伝えた。

いつもの娘と、違う娘。

029
いつもの娘と、違う娘。 029

「おかあさん、あのね・・・」小学3年生の娘が課題として牛乳パックで貯金箱を作っていた時のことだった。晩ご飯の準備中、突然、娘が話しかけてきた。「はい・・・コレ。いつも、ありがとう」恥ずかしそうに手渡されたのは小さくて、かわいい冠だった。「え?これどうしたの?つくったの?」「うん!貯金箱をつくってたんだけど、少しだけ牛乳パックが余ったの。だからね、いつも美味しいごはんを作ってくれるお母さんに何かつくってあげたいなって思ってつくったの」・・・ただただ、うれしかった。「ありがとう」なんて言ってくれたことも、モノを大切にする優しい子に育っていたということも。いつか彼女が大きくなった時、この話を伝えようと思っていた。そして、娘が大学生になり、就職活動で自己分析という難題に直面した今、その時は訪れた。「昨日ね、エコアンの話を聞いたんだけどぉ」私は友人から聞いた、プラスチックをリサイクルし、ガスでドライアイスまでつくれるという技術の話をきっかけに、娘が気づいていない彼女の良さを、さりげなく伝えた。あの小さくてかわいい冠みたいに、娘が再び、キラキラとした笑顔を取り戻せるように。

ギアチェンジする心。

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ギアチェンジする心。 030

「えっ?キミもあの会社、受けるの?」「うん。色々と悩んでたんだけどね・・・」大学の帰り道、偶然会った隣に住む幼なじみが、たまたま同じ会社に興味を持っていることを知り僕は驚いた。「あなたは何で受けることにしたの?化学に興味あったっけ?」「僕はほら、あれだよ・・・色んな道を探って探って、やっと見つけた感じかな。父親からのアドバイスもあってね。キミは?」「私?私は・・・小さな冠に導かれて、自分に向いてるかもって・・・」「冠?ふ〜ん、なんか面白そうな話だね。どういうことなの?」「ナイショ。でも私、決めたの。少し出遅れたけど、ここからギアをチェンジして一気に就職活動を巻き返そうかなって」「ふーん、あ、そういえば取り寄せた会社案内に今年のテーマはギアチェンジって書いてあったような・・・」「えっ本当?何か縁があるかも。どういう内容なの?」「確か・・・風向きがどーとか、だからギアを変えるとか」「何だ、せっかく資料取り寄せたのに、まだちゃんと読んでないんだ。だったら、これから一緒に読まない?」「うん、いいね。」その日から僕たちの就職活動は大きくギアチェンジした。まるで春風に、背中をぐっと押されたように。

熱く、フラーレンな想い。

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熱く、フラーレンな想い。 031

「ボクのせいで・・・本当に・・・すいません」中学、高校と続けてきたバドミントン。尊敬する先輩の高校最後の試合にダブルスのパートナーとして選ばれたことはとても光栄なことだった。でもプレッシャーにもなっていた。「ありがとうな・・・確かに負けはしたけど、いい試合だったよ」正直、試合に負けた理由は、緊張したボクのミスの多さだった。「あのな・・・最近オレ、新しいラケット買ったんだよ。これな、フラーレンっていう素材が使われてるんだけど、知ってるか?」「え?・・・いや・・・知りません・・・すいません」ボクは下を向いたまま、声を絞り出すように何とか応えた。「反発力がスゴくてな、打つ前に一回ググッとしなるんだ。で、その反動で、すごいチカラとスピードの球が打てるんだよ。バシーッって。つまり大事なのは、反発するチカラなんだ」先輩は、ボクの丸めた背中にそっと手を置き、続けた。「今日でオレの試合は終わった。でもな、幸せだ。この試合で、お前を大きくしならせることが出来たと思ってるから。あとは来年、お前がどう大きく反発して、どこまで強くなれるのか・・・楽しみにしてるぞ」「は・・・はい、頑張ります」涙の先に見えた先輩の笑顔が、さらにボクをしならせた。

ライバルは不飽和ポリエステル。

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ライバルは不飽和ポリエステル。 032

「バタバタッ!ガシャン!ガラガラッ!」次の対戦相手を調べに行っていた同じセーリングチームの仲間が、汗まみれになりながら大慌てで部室のドアを開けた。「ど、どうした?落ち着け。何があった?トラブルか?」「ああ、大事件だ。どうやら今度の相手、とにかく強いらしい」「マジかぁ~。運良くここまで来れたのに・・・で具体的には?」「ああ、まず熱に強いらしい。この夏の暑さもへっちゃらで、しかも衝撃に強く、もし接触しても、ビクともしないそうだ。さらに軽いらしくスピードも抜群!恐ろしくハイスペックだ」「つまり今のところ勝てそうなのは・・・根性だけって・・・ことか」「実は・・・もうひとつ最も重要な情報をゲットしてきてある!」「お!なになに!徹底した偵察で見つけた弱点とか?」「なんと・・・試合に負けても・・・腐ったりしないらしい」「いい根性してるじゃねーか!ダメだ!他には?」「えっと・・・曲げたり引っ張ったりにも強いらしい」「・・・ん?曲げたり?お前それ、チームの話じゃなくて、船体の話じゃねえか?確かあそこの船、不飽和ポリエステル樹脂製だから強いに決まってるだろ!やれやれ結局、情報ナシか・・・こりゃ完全に向かい風だな」「でもほら、ヨットは向かい風で前に進む・・・だろ?」

植物育成用LEDで育つモノ。

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植物育成用LEDで育つモノ。 033

「放送席!放送席!お待たせしました!それではチームを勝利へと導いた監督にインタビューをしたいと思います。今後、目指されている監督像はありますか?」「そうですねぇ・・・しいて言うならLED・・・ですかね」「え?・・・えっと、それは何か有名な戦略の略語とかですか?」「いえ、このサッカーグラウンドも照らしているLEDです」「なるほど〜選手たちを照らし続ける監督になりたいと!」「いえ、違います。今のLED技術は進んでいて、植物の光合成に最適な光をつくることができるんです。例えば、この天然芝も光の量と時間を調節して照射し、傷んだ芝を早く回復させることで、年間を通じて素晴らしいピッチコンディションを保つことができるんです」「なるほど〜!最新技術を取り込んだ監督スタイルでいくと!」「いや・・・違います!選手一人ひとりに、最適なアドバイスをしながら、体力や精神力にも気を配りつつ年間を通じてケガなく過ごすことでチーム全体が良いコンディションで試合に出続けられるようサポートしていける監督を目指しているんです。」「つ、つまり・・・選手たちの明るい笑顔を育てたい・・・と?」「違います・・・が、結果的にそうなるよう願っています」

ふたつのアルミポール。

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ふたつのアルミポール。 034

「キャプテン・・・お疲れさまでした!」陸上部に入って3年、主将になって1年。ただひたすら走り続けてきた日々が終わったことを実感したのは、ともにチームを支えてきたマネージャーのひと言だった。「ああ・・・そっか、そうだな・・・うん。」「キャプテンって・・・あの旗のポールみたいでしたね」競技場の一番高い所で風を受け、カランカランと音を立てながら旗をなびかせている姿を見つめ、彼女はつぶやいた。「え?ああ・・・ヒョロヒョロしてて、頼りなかったからなぁ」「いえ・・・逆です。どんなに逆風の時でもぶれず、試合の結果がどんなに酷い状況でも腐らず、いつでも周りに声をかけグラウンドに立ち続ける姿は、みんなにとっても私にとっても、勇気や元気を与えてくれる存在でした」「そ、そっか・・・うん。あ、ありがとう」3年間ずっと側で支えてくれた彼女に、そんな風に言ってもらえたことは素直にうれしかった。そして実は、自分にとってのポールは、芯が強く美しい彼女だと伝えるには、口べたなボクにとって最高の追い風になった。「あれだな・・・今日は・・・いい風吹いてるな・・・うん」

ポリプロピレンな終わり。

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ポリプロピレンな終わり。 035

「どうだった・・・現役最後の試合は?」ロッカールームに戻ると、監督から声を掛けられた。もっとも、昔、同じチームで戦った同い年の仲間だが。「歳のせいか、ケガのせいか・・・全力は出せなかったなぁ」「アホ、それが今のお前の実力だ・・・で、この後どうするんだ?」「まだ何も。スターでもないし実績もないし野球は・・・終いかな」言葉に詰まり、渡されたスポーツドリンクを一気に飲みほした。「そのドリンクの、そう、その透明な容器。ポリプロピレンって言う素材らしいんだけど、知ってるか?お前に似てんだよ」「はぁ?これが?まぁ・・・使い捨てだろうし、軽い感じがか?」「そうじゃねえよ。そいつはな、熱さとか寒さとか環境の変化にも強いし衝撃にも強くて、あと色んな形に変えられるらしい」「ふ〜ん。ま、確かにオレも色々なチームを渡り歩いたし散々叩かれたし、ポジションもどこでもやったからな」「ああ、でも特にスゲエのが透明度の高さとリサイクル性だそうだ。お前も、いつも隠しごとがなくクリーンなプレーでファンを喜ばせてきた。若いヤツも憧れてる・・・だからオレの片腕としてコーチにならないか?お前なら、その容器みたいに生まれ変わっても、また輝けると・・・オレは信じてるから」

「人生は化学式。」は、昭和電工が扱う素材や想いをテーマにした「化学小説」シリーズです。物質と物質が混ざり生じる化学変化のように、人と人が出会い生まれる人生の変化。その小さな輝きの物語を紡ぎ続けています。
あなたの人生にとっての化学式は? 主人公は、あなたです。