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昭和電工についてABOUT US

昭和電工の歴史HISTORY

時代を経ても変わらない
ものづくりへのこだわり

昭和電工は日本の化学産業のパイオニアであり、石油化学からアルミニウム、エレクトロニクスに至る幅広い個性的な事業を展開する、化学メーカーです。個性派として、変現自在に独自の発展を遂げてきた昭和電工。
その発展の歴史を紐解いていきます。

20世紀初頭

この時代の日本のリーダーたちは、日本が近代化を果たし、欧米諸国に比肩することを夢見た。その中の1人森矗昶は日本の産業発展にその生涯を捧げた。森は千葉県の小さな漁村に生まれた。森の最初の仕事は、父親と一緒に“かじめ”という海藻を焼き、薬品や化学原料となるヨードを製造するというものだった。これが昭和電工のルーツとなる。

1928

昭和肥料(株)設立

その後、森は昭和肥料を設立する。当時の日本では、肥料の生産に必要なアンモニアの合成は外国からの輸入技術に頼ることが常識だった。しかし、「国産技術の育成」を志す森は敢えて国産化にこだわった。川崎の工場では苦闘の日々が続いた。アンモニアの合成温度が一向に上昇せず、試行を繰り返してもアンモニアができない。もうだめではないか。失敗を覚悟する者もいたが、森たちは不眠不休の努力を重ねた。その結果、試運転から18日目。ついに純国産技術によるアンモニアの合成に成功した。1931年4月のことだった。

1934
1939

アルミニウム国産化成功〜
昭和電工誕生

続いて森はさらなる事業拡大を求めて、アルミニウムの国産化に着手する。アルミニウムを製錬するためには、膨大な電力が必要となる。製錬工場は、水資源が豊富な⻑野県につくられた。ここでも森は国産技術にこだわった。森たちは、ついにアルミニウムの国産化に成功する。アルミニウムの事業会社は、のちに昭和肥料と合併。現在の昭和電工株式会社が誕生する。初代社⻑は森が務めた。森は、1941年に56歳の生涯を終えたが、森の大きな志や、その座右の銘である“不撓不屈”の精神は、今も昭和電工のDNAとして受け継がれている。

1945

肥料の供給で
戦後の復興を支える

昭和電工設立の礎となったのは、森と彼を支える仲間たちの、決して諦めずにやり抜くという精神。その確固たる礎が、戦後も昭和電工のさらなる発展を導いていく。戦後の混乱期、食糧難の解決には肥料が必要不可欠。「肥料を供給し続けなければ」昭和電工のものづくりへの情熱は、冷めることはなかった。空襲により停止した肥料の生産はすぐに再開。川崎工場は昭和天皇による全国行幸の最初の地に選ばれた。天皇から直接お言葉をかけられる者もいたという。

1969

大分石油化学コンビナート運転開始
(石油化学への進出)

⾼度経済成⻑期には、石油化学の領域に進出する。大分石油化学コンビナートが生み出す原料・製品は、その後の日本の経済成⻑を力強く支えてきた。アジア有数の競争力を有するコンビナートとして、現在もその存在感の大きさを示している。

1988

ハードディスク事業に進出

さらには技術の融合により、従来の常識にとらわれない技術革新も起こした。1988年、ハードディスク事業に進出。2005年には世界初の垂直磁気記録方式のハードディスク量産を開始。その後、後退する競合の事業買収などにより競争力を高め、世界最大のハードディスク外販メーカーの地位を不動のものにした。これからも世界から求められる最先端のメディアを提供していく。

2003

使用済プラスチックの
アンモニア原料化事業を開始

川崎事業所では高機能化学品に対する多様なニーズに応えるため、さまざまな技術・製品開発の一方で、21世紀、社会が直面している環境問題を解決する、プラスチックを分解してアンモニアの原料とするプラスチック・ケミカル・リサイクル事業を開始。地域社会のみならず、社会全体にも高い技術力で貢献をしていく。

2017

M&Aによるグローバル展開

成⻑を語る上では海外展開も欠かせない。1988年に、米国で⿊鉛電極事業を買収し、昭和電工カーボンを設立する。さらに2017年にはドイツSGLGE社の買収により、世界最大の黒鉛電極メーカーとなり、同事業は昭和電工が標榜する個性派事業の象徴となっている。今後も、日本からアジア、アメリカ、ヨーロッパに至る全世界をカバーするグローバル企業として市場を牽引していく。

日本の化学産業のパイオニア。
そして石油化学からアルミニウム、エレクトロニクスに至るまで、
個性的な事業を幅広く展開する化学メーカー、昭和電工。
これらは、昭和電工の歴史のほんの一端に過ぎません。
たくさんの個性を持つ私たちと、
共に未来を創っていきましょう。

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